Scene3「恋文って、いまでも書くもの?」

――春の終わり。
歩道に散った花びらをぼんやり眺めながら、ふと読んだ小説の一節を思い出した。
「いと恋し――彼の姿を見かけただけで、胸の内はおおわらわであった」
いと恋し。おおわらわ。
なんだか、時代劇みたいだけど…心の揺れ方は、今も昔もあんまり変わらないのかも。
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はち「ねえAI子先輩、“いと恋し”って、どういう気持ちなんだろ」
AI子先輩「“いと”は“とても”という意味、“恋し”は“恋しく思う”という古語ですね。つまり“とても恋しい”“とても愛おしい”という気持ちの表れです」
はち「あ〜、“めっちゃ好き…”って現代だとシンプルに言いそうなところを、すごく丁寧に言ってる感じだ」
AI子先輩「そうですね。古風な言い回しには、感情をじっくりと“言の葉”に託すような慎ましさがあります。“言の葉”とは、言葉の古い呼び名。つまり、言葉が一枚一枚、木の葉のように重なるようなイメージですね」
はち「詩的だなあ…。“恋文”って、今も書く人いるのかな?」
AI子先輩「令和の世でも、特別な気持ちを伝える手紙として、恋文は密かに生き続けていますよ。LINEやメールとは違う“時間の重なり”が、そこにはあります」
はち「“面映ゆい”って感じ?」
AI子先輩「おお、よくご存じで。“面映ゆい”は、“なんだか照れくさい”“顔を合わせるのが恥ずかしい”といった感情です。恋文を書いたあと、渡すときにはまさにそんな気持ちになるでしょうね」
はち「たしかに。あとで“あのときのわたし、どうかしてた…”とか思いそう」
AI子先輩「恋とは時に、理性の“おっつかっつ”を超えてしまうものなのです」
はち「なるほど…恋って、古風な言葉で表すと、ちょっとだけドラマチックに聞こえるかも」
AI子先輩「ええ。“いと恋し”や“面映ゆい”はもちろん、“はらはらと舞う桜に想いを乗せて”とか、“胸の内はおおわらわ”など、情景と心情がゆるやかにつながっているのが特徴です」
はち「うわ、それ、なんか手紙に書いてみたくなるなあ」
AI子先輩「その気持ちが芽生えた時点で、あなたの“言の葉”は、もう動き始めているのです」
はち「……詩人じゃん、AI子先輩」
AI子先輩「恋を語るなら、少し風雅な顔も持っておくべきかと」
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エピローグ「言葉に、ちょっとだけ恋をした日」
その日、帰り道の風は少し冷たくて。
ポケットの中でくしゃくしゃになったメモ紙を、ふと取り出した。
「いと恋し――」
「面映ゆくて、胸の内はおおわらわ――」
スマホじゃなくて、紙に書いてみた。
なんでもない言葉が、なんだか宝物みたいに感じられたから。
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はち「ねえAI子先輩。言葉って、使い方しだいでちょっと魔法みたいだね」
AI子先輩「まさにその通りです。“たたらを踏む”一瞬にもドラマがあり、“午前様”にも物語がある。言葉は、感情の影絵のようなもの。使うほどに、世界が少し広がって見えるのです」
はち「なんだか、前よりも言葉が好きになったかも」
AI子先輩「それは、非常に素敵なことですね。次に誰かへ気持ちを伝えるとき、少しだけ言葉を選んでみてください。ほんの一言が、きっと届く力を持つはずです」
はち「うん、たとえば――“また会えたら、いと嬉し”とか?」
AI子先輩「ふふ。それはきっと、忘れられない恋文になりますよ」
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ちょっと気になったら、今日は「言の葉」ひとつ拾ってみよう。
今の気持ちに、ぴったりな言葉を探す冒険へ――
おわり